2011-3-11 を忘れない

<大川小津波訴訟>事前防災に過失 仙台高裁、石巻市教委の責任も認定

仙台高裁の控訴審判決を控えて、河北新報が精力的、系統的に取材を重ねてきた記事に拠りつつ、<大川小の悲劇>を想起してきました。
判決が出された4月26日に至る7年余り、ことの真実と真の教訓を求めて提訴に踏み切ってから4年余りの歳月を、
筆舌に到底尽くせない慟哭と苦難とともに耐え抜いてこられた遺族の方々に深い敬意と感謝の念を禁じられません。
「やっとスタートライン。悲劇を繰り返さないために、行政や学校も同じ方を向いて進むことを願う」と語る遺族の方の言葉に心から共感します。
未曾有の事態に直面したとはいえ、「津波は自然災害、しかしその後の行政・教委の対応は事故」と遺族に言わしめるように、行政・教委の取り組みは、
「悲劇」を直視し真摯に教訓を得ようとする姿勢に欠けていたのではないかと感じざるを得ません。
被災直後から、「悲劇を繰り返さないために同じ方向を向いて進む」こと遺族は願い、
やむなく訴訟に至った経緯も踏まえて、相互に虚心に新たなスタートラインに立って欲しいと願わずにはいられません。

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<大川小津波訴訟>事前防災に過失 仙台高裁、石巻市教委の責任も認定

仙台高裁前で「勝訴」の垂れ幕を掲げ、心境を語る今野浩行原告団長(手前右端)ら遺族=26日午後2時40分ごろ

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は26日、教員らの避難対応の過失のみを認定した一審仙台地裁判決を変更し、「学校は津波避難場所を定めておくべきだった」として市・県に計約14億3610万円の賠償を命じた。校長ら大川小の幹部と市教委に組織的な過失があったと判示した。学校の事前防災を巡り、法的責任を認めた司法判断は初めて。
小川浩裁判長は「校長らは児童を守るため、平均より高いレベルの防災知識を収集・蓄積しなければならない職務上の立場にある」と強調。一部学区が津波浸水予想区域を含み、校舎が北上川堤防から西に約200メートルと近接することから「津波で浸水する危険性はあったと言うべきで、予見は可能だった」と認定した。
大川小の危機管理マニュアルが校庭からの避難場所を「近隣の空き地・公園等」としたのは「不適切」と指弾。校長らは遅くとも市教委にマニュアルを提出した2010年4月までに、堤防付近の三角地帯(標高6~7メートル)を経由した林道を避難場所と明記し、市教委は内容を確認して不備を指摘すべきだったと判断した。
マニュアル整備の段階で、保護者への児童の引き渡し手順や周辺住民との認識の共有を進めていれば、震災当日に約35分間、校庭に待機しなかったと指摘。「適切なマニュアルがあれば、地震発生から6分後の大津波警報発令時点で林道への避難を開始し、事故を回避できた」と結論付けた。
大川小では児童74人と教職員10人が津波で死亡・行方不明になった。16年10月の地裁判決は市・県に計約14億2660万円の賠償を命じ、遺族と市・県の双方が控訴した。
高裁判決を受け、石巻市の亀山紘市長は「大変厳しい結果だ。上告するかどうかは白紙。早い段階で方針を決めたい」と述べた。村井嘉浩知事は「今後の対応は、学校設置者の石巻市の意向を最大限尊重して決める」と話した。

[大川小津波事故]2011年3月11日午後2時46分に宮城県沖で起きたマグニチュード(M)9.0の東北地方太平洋沖地震による津波で、石巻市大川小の児童108人のうち70人が死亡し、4人が今も行方不明。教職員11人のうち男性教務主任を除く10人も犠牲となった。校長は休暇で不在だった。学校は北上川河口から約3.7キロ離れ、海抜約1.1メートル。市の津波ハザードマップでは浸水予想区域外だった。地震発生の約50分後に津波が襲来し、最高水位は高さ約8.7メートルに達した。学校管理下で戦後最悪の事故とされる。河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「ハザードマップ至上主義」と完全に決別 防災対策に根底から見直し迫る

 【解説】学校の事前防災の是非が争われた大川小津波事故訴訟の控訴審判決は、津波被害予測地図(ハザードマップ)を科学的知見として予見可能性を判断してきた従来の津波訴訟の「ハザードマップ至上主義」と完全に決別した。マップへの依存を否定した司法判断は、学校現場に限らず各種の防災対策に根底から見直しを迫った形だ。
大川小が津波浸水予想区域外に立地する点を捉えて「津波予見は不可能」としてきた市・宮城県側の主張を、判決は「マップの信頼性を独自の立場で検証することが要請されていた」と一蹴した。「校長らは平均的な知識を上回る防災知見を得て適切な危機管理マニュアルを整備すべきだった」と言及し、予見可能性を肯定した。
控訴審判決が事前対応の過失認定まで踏み込んだ背景の一つに、津波襲来直前に市広報車が避難を呼び掛けた時点で避難しなかった教員らの過失を、戦後最悪とされる学校事故の直接原因とした一審仙台地裁判決が、納得感をもって広く受け入れられたと言い難いことがある。
個人が対応できる限度を超えた未曽有の大災害に、組織で立ち向かわざるを得ないのは自明だ。控訴審で地震発生後の対応について実質的な審理が行われなかったのは、十分な証拠から導かれた一審の不十分な認定を、仙台高裁が一から見直す必要があると判断した可能性が高い。
マニュアルの見直しの指導を怠った市教委の過失を認めた意義も大きい。マニュアル整備を各校に要請していたのに、内容を一度も確認しなかった「怠慢」を指弾。教員らが高台避難を決断できなかった遠因であることを示唆した。
判決が教育行政に課した責務は極めて重いが、学校現場の多忙化を考えると酷な側面もある。判決を現場教員の負担軽減も含め、命を守る組織の在り方を問い直す里程標としてほしい。(報道部・横山勲)河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「学校防災の礎に」「子どもの願いかなった」涙流す遺族

記者会見に臨んだ遺族。犠牲となったわが子への思いを胸に、学校防災の向上を訴えた=26日午後4時15分ごろ、仙台市青葉区の仙台弁護士会館

 宮城県石巻市大川小津波事故訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は26日、学校側の組織的過失を認めた。わが子を失った悲しみ、真相が見えない苦しみ、理不尽な事後対応への憤りに苦悩した末の提訴から4年。「学校防災の礎になる判決」「子どもの願いがかなった」。遺族らは涙を流し、抱き合って喜びを分かち合った。

判決後の記者会見には遺族15人が参加し、時折涙に声を詰まらせながら思いを語った。
「ほっとしている。子どもの命を救うために必要な主張が認められた」。6年だった長男大輔君=当時(12)=を亡くした原告団長の今野浩行さん(56)は、学校防災の在り方を左右する裁判の重責から解放され、安堵(あんど)と喜びを語った。
二審は、一審で争われた現場の教職員が津波の襲来を予見できたかには触れず、震災前の備えに争点を絞った。高裁判決は避難場所などを定めた危機管理マニュアルの整備や指導における校長ら学校幹部と市教委の過失を認定。適切な備えがあれば、地震発生6分後には避難を開始できたと判断した。
「やっとここまで来たという思いと、7年もかかったという思い」。3年の長女未捺(みな)さん=同(9)=が犠牲となった只野英昭さん(46)は複雑な胸中を明かし、「やっとスタートライン。悲劇を繰り返さないために、行政や学校も同じ方を向いて進むことを願う」と語った。
津波襲来に至る約50分間の真相は明らかになっておらず、唯一生き残った男性教務主任(57)の証人尋問も実現しなかった。今野さんは二審が問わなかった市教委の事後対応も念頭に「検証の再開につながる」と期待を込めた。
一審判決時は被告側が即座に控訴を判断した。6年の三男雄樹君=同(12)=を失った佐藤和隆さん(51)は「判決には、県と市が何をするべきか明記されている。子どもの命を守るための判決を重く受け止めて判断してほしい」と上告断念を強く訴えた。河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「学校の安全性大きく前進」原告代理人弁護士の吉岡和弘氏

高裁判決を歓迎する吉岡弁護士

 「学校の安全性を大きく前進させる画期的な判決だ」。仙台市青葉区の仙台弁護士会館で記者会見した原告代理人の吉岡和弘弁護士は、遺族の主張をほぼ受け入れた仙台高裁判決を高く評価した。
吉岡氏は「震災前の防災対策の不備を認めた初めての判決」と指摘。「自治体や教育委員会、学校が平時から子どもの安全配慮義務を持っている点を認定したことは大きな意義がある」と強調した。
「学校保健安全法が抽象的な安全ではなく、子ども一人一人の安全確保を規定していることを判示した」として今後、避難場所や経路などを明記した具体的な防災マニュアルの策定につながることへの期待感を示した。
吉岡氏と共に代理人を務めた斎藤雅弘弁護士は「津波の襲来は予想できた」と改めて口にした。宮城県防災会議が2004年と11年にそれぞれまとめた地震対策に関する報告書には、大地震発生時に堤防が破損した場合、大川小周辺が浸水する可能性があると記されていた。
斎藤氏は「ハザードマップ(津波被害予測地図)が信用できないことが裏付けられた。独自の判断で安全な場所に避難すべきだった」と続け、「子どもを守る立場の教師は地域住民よりも高いレベルの知識を持ち、安全配慮義務を果たさなければならない」と言い切った。
判決は遺族に対する慰謝料を大幅に増額し、「子どもたちはおとなしく指示を待っていた」とも指摘した。吉岡氏は「遺族に寄り添った判決と感じる」と涙を見せた。河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「大変厳しい判決」石巻市長と宮城県知事、上告の明言避ける

控訴審判決を受け「大変厳しい結果」と述べる亀山市長

 石巻市大川小を巡る訴訟の仙台高裁判決を受け、亀山紘石巻市長と村井嘉浩宮城県知事は26日、「大変厳しい判決」と表情をこわばらせた。一審に続いて主張は退けられ、学校の組織的な過失を認める初判断を突き付けられた。上告方針など今後の対応を問う報道各社の問い掛けに「判決内容を把握していない」「しっかり精査する」と繰り返した。
亀山市長は市役所で記者会見し、「大変厳しい結果と受け止めている」と手元の資料を読み上げた。「現時点で上告するかどうかは白紙の状態」とし、早期に判断する姿勢を示した。
校長ら学校幹部と市教委の過失が認定されたことには「市と市教委の事前防災の取り組みが認められなかった」と不満をにじませつつ、今後の学校防災に関し「さらに強化する必要性が高まった」と語った。約1年半前の控訴判断を振り返り、「控訴したこと自体は間違っていない」と強調。自身の責任に関しては「判決内容を詳細に検討したい」とかわした。
村井知事は県庁で報道各社の取材に答えた。終始険しい表情を崩さず、「裁判結果は大変厳しいと受け止めている。判決が出たばかりなので、しっかりと精査したい」と述べた。
判決が、学校の危機管理マニュアルの改訂など事前防災の過失を認定した点には「人知を超える災害にどこまで対応できるのか、考えないといけない」と言葉を選んだ。マニュアルの改訂作業に関し「訓練で一歩ずつ進める方法が良かった。今回はそこまでの次元に至らなかった」と話した。上告などの対応を尋ねる質問には明言を避け、取材対応は約5分で終わった。

◎「不可能を強いるに近い」石巻市代理人弁護士の松坂氏

仙台市内で記者会見した石巻市代理人の松坂英明弁護士は、市と宮城県の主張をことごとく退けた高裁判決を「被告に不可能を強いるに近い」と顔を紅潮させて批判した。
判決は教職員が地域特性に合わせ、独自にハザードマップを検証する必要性を指摘。松坂氏は「これまでにない高度な安全配慮義務を教職員に求めている」と述べた。
「(学校)現場は市が科学的・歴史的知見に基づいて作ったハザードマップを信用するしかなかった」と代弁し、「万が一に備えるという被災地からのメッセージとしては評価できるが、過去の事案(大川小津波事故)の責任を問うには厳しすぎる」と語った。
判決が避難場所として700メートル以上離れた高台を適地とした点は「学校から距離があり、想定外だ」と反論。「児童が助かるには高台しかない。市側に過失があるとする高裁の『ストーリー』を完成させるため、高台を選んだのではないか」といぶかった。
判決は、学校側に危機管理マニュアルの策定を義務付ける学校保健安全法を論拠とした。宮城県代理人の斉藤睦男弁護士は「法律が学校に課すのは努力義務にすぎない。今回指摘されたような具体的な義務が発生するかは疑問だ」と首をひねった。
松坂氏は「津波予見性に関するこれまでの最高裁や高裁の判断枠組みに照らすと、相当の違和感がある」と話し、市と上告を検討する方針を示した。

◎高い防災水準要求 <東大大学院法学政治学研究科・米村滋人教授(民法)の話>
事前防災の過誤を明確に判断し、学校と市教委の組織的な義務違反を肯定した点で画期的な判決だ。従来の津波訴訟と異なり、ハザードマップの浸水想定区域を予見可能性の基準とせず、相当踏み込んだ判断と言える。学校保健安全法が定める児童の安全確保義務を重視しており、今後の学校現場には一層高い防災水準が求められる。過失行為と事故回避の因果関係は、適切な危機管理マニュアル整備を前提に迅速な避難行動を仮定したもので、十分納得できる。

◎新判断枠組み示す <大阪市立大大学院法学研究科・高橋真教授(民法)の話>
校長ら現場の管理職と指導的立場の市教委が児童の生命安全を守る目的を達成するため、組織的に結び付いて対応することを職務上の義務として、判決は強く求めた。学校管理下の事故を予防的観点で捉えて過失を認定し、新しい判断の枠組みを打ち出したと言える。特に安全の確保は自由裁量ではなく、危険を積極的に認知して必要な情報を収集・蓄積し、地域の実情に即した実効性のある体制を作る義務が学校と市教委にある点を明確にした意義は大きい。

◎従来の前提崩れた <静岡大防災総合センター・牛山素行教授(災害情報学)の話>
ハザードマップの存在意義が問われ、従来の防災計画の前提が根底から崩された判断という印象だ。マップの想定は不確実性があり、最大想定をうのみにすべきではないとはいえ、一般的な捉え方とは思えない。防災計画を策定する上で基本情報となる浸水予想を、学校の管理者や市教委が防災知見を収集・蓄積し独自に検証する職務上の義務まで課した点に違和感がある。現場実務者の技能や育成の現状からすると、実現可能性に乏しい義務と言わざるを得ない。河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>高度な防災対策求める判決 教育現場困惑「対応できない」

 仙台高裁で26日にあった石巻市大川小津波事故訴訟の控訴審判決は、教育関係者に衝撃を与えた。判決は、事前の防災対策の過失を認めつつ、地域住民の知識や経験を超える高度な防災対策を学校側に求めた。教育現場は極めて重い課題を突き付けられ、「対応できない」と困惑が広がる。

「次の犠牲を出さない教訓と受け止めるが、安全安心をどこまで突き詰めればいいのか分からなくなる」。宮城県沿岸部の小学校の校長は、判決を知ってがくぜんとした。
判決は、校長ら学校側に必要な知見について「住民が有する平均的な知識、経験よりもはるかに高いレベルのものでなければならない」と要請した。
沿岸部の校長は「住民の話を聞き、地域で発生する災害の特性を把握するだけでは不十分なのか」と戸惑う。高度な安全確保義務が求められ「普段の野外活動でも敏感になり、落ち着いて取り組めなくなる」と判決の余波を懸念する。
判決は、津波ハザードマップが示す浸水予想区域についても「教師は、独自の立場から批判的に検討することが要請される場合もある」と指摘した。
「マップを疑うのは無理。厳しすぎる」。岩手県の元小学校長は判決に耳を疑った。学校現場が混乱しないように、行政や学識者の支援を求めた。
太平洋を望む千葉県の市教委担当者は「私たちはそもそも土木や気象の専門家ではなく、学校も市教委も本当に多忙で手が回らない」と打ち明ける。
宮城県教組は教職員の多忙化を解消し、教職員間のコミュニケーションを高めなければ実効性ある危機管理マニュアルの見直しは進まないと指摘。「学校で多くの命が失われたことを重く受け止めている。学校が子どもの命を守るために機能するように教育条件の整備を求めたい」との談話を出した。
判決は、石巻市教委が大川小の危機管理マニュアルの不備を指導しなかった点についても過失を認めた。
南海トラフ巨大地震に備えた対策を進める兵庫県教委の担当者は「科学的知見に基づき、学校現場をフォローすることが大切だと改めて認識した。児童生徒に対する実践的な防災教育をさらに進める」と話した。河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「しょうがねえ、で済ませたくない」原告遺族、真実を追い続けた7年

原告の思いが詰まった垂れ幕を掲げる佐藤美広さん=26日午後2時40分ごろ、仙台市青葉区の仙台高裁前

 一人息子の「ただいま」の声が聞けないまま、7年余りの月日がたった。
大川小津波訴訟の控訴審判決言い渡しから約15分後、原告副団長の佐藤美広(みつひろ)さん(57)が仙台高裁前で原告仲間と一礼し、判決内容を示す垂れ幕を掲げた。
「子供たちの声が高裁にも届いた」
上着のポケットに小さな軟球を入れていた。大川小3年だった健太君=当時(9)=の形見。震災前まで、この球で親子でキャッチボールを楽しんでいた。
健太君は2年の秋、スポーツ少年団「大川マリンズ」で野球を始めた。下級生ながら公式戦に出場し、ヒットを1本打った。「どこの高校が強いの? プロ野球選手になっかな」。大きな夢を描いていた。
生きる希望を失った佐藤さんと妻とも子さん(54)は、何度も命を絶とうと考えた。ただ、息子が巻き込まれたのは、戦後最悪とされる学校管理下で起きた事故。「しょうがねえ、で済ませたくない」との思いで踏みとどまった。
2017年夏、夫婦で健太君の遺影と共に兵庫県西宮市の甲子園球場を訪れた。バックネット裏近くで全国高校野球選手権大会の開会式を見守った。
力強く行進する球児たちに、白球を追っていたわが子の姿を重ね合わせた。生きていれば高校1年。「夢を追える。それだけでいい」。2人の目に涙があふれた。
26日の高裁判決後、原告が掲げた3枚の垂れ幕の中には「勝訴」の2文字も。目を凝らすと、原告19遺族の児童23人の名前が小さな字でつづられていた。
佐藤さんは「『行ってきます』と家を出た子どもを、『ただいま』と帰すのが教育の原点ではないか」と強調する。とも子さんは「裁判には勝ったけれど悔しい。助かったはずの命だと思う」と素直に喜べない。
やりきれない思いは募るが、夫婦で必死に真実を追い続けた7年だった。「健太は心の中にいつもいる」と語る佐藤さん夫婦に今、息子の声がはっきりと聞こえる。
「おっとう。おっかあ。7年間、俺のことを思って頑張ってくれたな」河北新報2018年04月27日

<大川小津波訴訟>「災害対策充実を」 学校跡地来訪者、願い託す

旧大川小の献花台で手を合わせる来訪者=26日午後2時55分ごろ

 大川小津波事故訴訟の控訴審判決が仙台高裁であった26日、児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明になった石巻市釜谷の学校跡地には、祈りをささげる人たちが絶え間なく訪れた。学校の事前防災の過失を認めた判決に「遺族の心情を考えると妥当」「災害に備え、教育現場はしっかり対策を講じてほしい」との声が上がった。
東京都の歯科技工士大目公嗣さん(64)は献花台で手を合わせ、校舎周辺を見学した。「渡り廊下がねじれていた。勢いがすごかったのだろう」と津波の威力を確認。「子どもを亡くした親たちの気持ちを無駄にしないよう、判決を生かしてほしい」と願った。
「この場に立つと子どもたちの声が聞こえてくるようだ。どんな気持ちで避難したかを考えると込み上げてくるものがある」。初めて現地を訪れたという東京都の主婦奥山京子さん(63)は、当時の児童らの置かれた状況に思いを寄せた。
控訴審では、震災時の大川小の危機管理マニュアルが適切だったかどうかが最大の争点となった。
仙台市内の高校の講師男性(65)は「現場を見ると、なぜ裏山に逃げなかったのか疑問に思う。子どもたちを預かる学校が、危機管理の面でどう行動するかを常に考えないといけない」と語った。2018年04月27日

<大川小津波訴訟>議会、迫られる賛否 選挙迫る石巻「専決処分を」議会招集求める県「議論の場を」

 学校の事前防災の過失を認め、石巻市と県に賠償を命じた26日の大川小津波事故訴訟の控訴審判決。市議会と県議会は、上告する場合に賛否を迫られる可能性が出てきた。市議選(5月13日告示、20日投開票)を間近に控える議員からは「専決処分を」との本音が漏れる。一方の県議会は、村井嘉浩知事が専決処分で控訴を決めた経緯を踏まえ、議会の招集を求める声が相次いだ。
「一審と同様、賠償を命じた判決を重く受け止める。議会としても慎重に対応しなければならない」。石巻市議会の丹野清議長は厳しい表情で語った。
控訴を巡る2016年10月の市議会臨時会では賛否が割れ、賛成16、反対10で関連議案を可決した。
大川小の事前防災の不備にも踏み込んだ控訴審判決を受け、控訴に賛成した議員は「市側の勝訴が困難になったとの印象だ」と指摘。反対に回った議員は「市教委は誠実に受け止め、議論を積み重ねてほしい」と上告に否定的な見解を示した。
市議選は定数30に対し、26日現在で計38人が立候補を予定し、激戦が予想される。市議会で賛否を明らかにすることが選挙戦にどう影響するのか、多くの現職が測りかねている。
ベテラン議員は「選挙が近づき慌ただしくなる中、上告について判断する余裕はない。専決処分を望む議員は少なくないのでは」と打ち明けた。
控訴時は議論の場さえなかった県議会からは、丁寧な議会対応を望む声が上がる。民進党系会派「みやぎ県民の声」の藤原範典会長は「全員協議会で議員の意見を聞き、県の態度を決める際は臨時会を開くべきだ」とくぎを刺す。
「専決処分とせず、県民代表の議会の声を聞くべきだ」。共産党県議団の遠藤いく子団長も足並みをそろえ、社民党県議団の岸田清実団長は「知事が議会の場で今後の方針を説明するのが筋だ」と強調した。
知事を支える最大会派「自民党・県民会議」の菊地恵一会長は「厳しい判決で厳粛に受け止めないといけない」としつつも、今後の対応については「推移を見守る」と明言を避けた。
与党には上告断念を求める声もある。控訴に反対した公明党県議団の庄子賢一会長は「一審と変わらない対応になるだろう。判決が速やかに判例になるようにすべきだ」と促す。
自民会派の被災地選出議員は「全面敗訴と言っても過言ではない。(市と県は)猛省すべきだ」と苦言を呈し、「(上告は)あってはならない。仮にするならば追及する」と語気を強めた。河北新報2018年04月27日

<大川小・母たちの7年>真実求める心、癒えず

震災当日、みずほさんが着ていたブラウスを手にする佐藤さん=10日、石巻市福地

 児童74人と教職員10人が津波の犠牲になった石巻市大川小を巡る控訴審判決が26日、仙台高裁で言い渡される。東日本大震災から7年、幼いままのわが子の写真を見つめ、葛藤を抱きながら数々の「なぜ」を追い続けてきた母親たち。判決に寄せる思いは高まる。(大川小事故取材班)

◎(上)佐藤かつらさん

<膨らむ疑問>
「服を買いに行きたい」
石巻市福地の佐藤かつらさん(52)は2011年3月上旬、大川小6年だった次女みずほさん=当時(12)=に初めてせがまれた。
普段は二つ年上の長女のお下がりが大好きな子だった。春休みに友人たちと東京ディズニーランドに行く予定がある。「夢の国」に着ていく服は特別だ。
あの日、みずほさんの小さな願いは、命もろとも奪われた。2日後、校舎西側の山沿いで遺体で見つかった。将来の夢は通訳。4月から中学校で習う英語の授業を楽しみにしていた。
同市河南西中の美術教諭だった佐藤さんは、4月の入学式で新入生を迎えた。みずほさんと同じ学年だ。
「僕たちと同じ新中学生になるはずだった人たちの分まで頑張る」。新入生代表のあいさつに、立ったまま涙が止まらなかった。
なぜ大川小だけ大勢の子どもたちの命が失われたのか-。「経験のない揺れだった。教員なら大げさなくらい最悪の事態を考えて避難するはずではないか」。疑問は膨らむ一方だった。

<教員を退職>
6月4日、2回目の遺族説明会に出席した。市教委側は顔見知りの教員ばかり。誠心誠意、説明を尽くしてくれるとの期待は裏切られ、説明会も質疑途中で一方的に打ち切られた。
「先生たちは組織を守ろうとする態度だった。信じられない光景がショックで、言葉を失った」。会場を去る教員らをぼうぜんと見送るしかなかった。
中学校への行き帰りの車中で、校舎の廊下で、涙が突然あふれた。「こんな状態では授業にならない」。1学期末の退職を考えたが、同僚らに支えられ年度末まで勤めた。
合唱コンクールや部活動に懸命な教え子らの姿に感動を覚えつつ、「みずほは、こういう素晴らしい中学校生活を味わうことができなかった」と、悔しさと悲しみが募った。

<提言に幻滅>
13年2月に発足した第三者検証委員会にも幻滅した。生存児童らから聞き取る努力が足りないと感じ、最終報告書に盛り込まれた24の提言は「大川小を踏まえていない」と映った。
元中学教諭で夫の敏郎さん(54)や他の遺族と共に独自に検証を進め、必死に真実を求めてきた心がまた折れた。
「裁判しかないのでは…」。頭をよぎったが、敏郎さんは当初から裁判は念頭になかった。「お父さんの判断でいいよ」と伝えた。
震災から7年。「気持ちはあまり前に進めてないのかな」。児童らに聞き取った証言メモを廃棄したり、説明を二転三転させたりした市教委や、踏み込み不足の検証委に「つぶされた心」は今なお癒えない。
仙台地裁や高裁にも何度か傍聴に通った。原告遺族と「ずっと同じ気持ち」でいる。「後世の教訓となる判決が出る」。そう心から信じている。河北新報2018年04月24日

<大川小・母たちの7年>安全な学校、子に誓う

たくさんの写真が飾られた仏間で手を合わせる狩野さん。達也君と美咲さんが家族の会話に出ない日はない=17日、石巻市針岡

 ◎(中)狩野正子さん

<消えぬ後悔>
石巻市針岡の狩野正子さん(45)には、忘れられない会話がある。
「また大きな地震が来る。学校にいたら危ないから、行きたくない」
2011年3月10日の朝、自宅の台所で、起きてきた大川小5年の長男達也君=当時(11)=が訴えた。
前日午前、地震に遭った。石巻市は震度4で、50センチの津波を観測。学校にいた達也君と2年の長女美咲さん=同(8)=ら全校児童が一時、校庭に避難した。
達也君は地震が嫌いだった。地震や津波について調べ、自作の壁新聞にまとめたこともあった。怖がる息子に、狩野さんは優しく諭した。「学校にいれば先生がついてるし、守ってもらえるから大丈夫だよ」
翌11日、東日本大震災が起きた。達也君は3月22日、美咲さんは4月2日に、それぞれ亡きがらとなって見つかった。「結局、達也の言った通りだった。学校は安全じゃなかったんだと思うと、2人に本当に申し訳なくて…」。いつもの朝の、何げないはずの会話。後悔とともに思い返す。

<証言聞けず>
あの日まで信じて疑わなかった学校で、なぜ子どもたちは亡くなったのか。石巻市教育委員会の説明会も第三者検証委員会も、「避難が遅くなって亡くなった」としか言わない。むしろ、危機管理マニュアルの不備などを知るほど、「なぜ」が深まった。
14年3月、夫達弘さん(45)と裁判に参加した。当時の校長らの証人尋問は、不十分な対策の責任逃れにしか聞こえなかった。在校の教職員で唯一助かり、達也君が慕っていた男性教務主任(57)の証言は聞けなかった。法廷は全てを明らかにしてくれなかった。
大川小から約4キロ離れた自宅は無事だった。学習机も、服も、おもちゃもあるのに、持ち主の仲良しきょうだいはいない。生きるのがつらかった。
「もう一度、お父さんとお母さんになりたい」。14年10月に次女ひなたちゃん(3)が生まれた。早産で生後すぐは心配されたが、今では散歩が大好きで元気な女の子に育った。
ひなたちゃんが達也君と美咲さんの写真を見て言った。「お兄ちゃんとお姉ちゃん、私に会いに出てきてくれない」。狩野さんは胸を詰まらせながら、優しく教えた。「見えないけど、いつもそばにいるよ」

<新たな目的>
真実を知りたい。自分たちと同じ思いを誰にもしてほしくない。裁判の目的が、もう一つ加わった。ひなたちゃんが大きくなる頃、学校は安全な場所であってほしい-。
26日の控訴審判決。天国の達也君と美咲さんに、報告したい。「達也が言う通り、学校は危なかったね。でも今度は、安心して行けるような学校になるんだよ」。誇らしげな達也君の顔が浮かぶ。「ほらね言ったでしょ、お母さん!」河北新報2018年04月25日

<大川小・母たちの7年>大輔が見守っている

◎(下)今野ひとみさん

<面影追って>
時は流れ、周りだけが変化している。
石巻市の今野ひとみさん(47)は、大川小6年だった長男大輔君=当時(12)=を失った。「あの日から時間が止まっている」。流れについていけないもどかしさを感じる。
大輔君の友人が車を運転していると聞いた。「同じように免許を取り、私を乗せてくれたかな」。つい思ってしまう。
大輔君は今年11月12日に20歳になるはずだった。6年になり1人部屋を与えても、週1回は「お母さん、一緒に寝っぺ」と布団に潜り込んできた。甘えん坊のイメージのまま7年が過ぎた。成人した息子の姿をどうしても想像できない。
市内のビジネスホテルで働く。夕食時、宿泊客の若い男性が何度もお代わりした。「大輔もよく食べる子だった」。ついおかずをサービスする。知らず知らず息子の面影を追っている。

<原告席で涙>
石巻市教委や第三者検証委員会の説明を何度聞いても納得できなかった。「子どもたちは最後の最後まで怖い思いをさせられた。親として悔しい」。息子の無念を思い、大川小事故を巡る訴訟に参加した。
仙台高裁での審理は、危機管理マニュアルの不備など事前防災に焦点が当たった。市教委側は「マニュアルを点検していなかった」などと証言。「大人がきちんと仕事をしていれば、子どもたちを守れた」と知り、原告席で悔し涙があふれた。
一審、二審を通して原告側が何度も申請したが、生き残った男性教務主任(57)の証人尋問は実現しなかった。「証言を強要するくらいなら、出てこない方がいいと思っていた」と打ち明ける。
亡くなった子どもに対する思いは心底聞きたい。ただ、本当の気持ちは自らの意思で出てこないと話せないのではないか-。時が来るまで待ち続ける。

<夫を励ます>
夫の浩行さん(56)は原告団の団長を務める。真面目な性格で、26日の判決が近づくにつれて「負けたら、自分の責任になる気がする」と不安げな表情を見せる。「気をもんでもしょうがない」「大輔が見守っている」。重責を担う夫を励ますことが、団長の妻の役目だと思っている。
月命日の今月11日、夫婦で同市針岡の松山寺を訪ねた。「今野家之墓」には、自宅で大輔君の帰りを待っていて津波の犠牲になった長女麻里さん=同(18)=、次女理加さん=同(16)=、義父浩さん=同(77)=、義母かつ子さん=同(70)=も眠る。
彼岸の際に供えた花を替え、「こっちの事は心配しないで」と手を合わせた。
判決後は墓前にこう報告したい。
「学校側が間違っていたと認められたよ。ごめんねと言っていたよ」河北新報

2018年04月26日

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