2011-3-11 を忘れない

<大川小>あらゆる努力を尽くして犠牲者に報いる教訓を

<大川小・止まった刻>専門家2氏に聞く/事実認定、報告書が限度 前文部科学省事務次官・前川喜平氏

前川喜平(まえかわ・きへい)東大法学部卒。1979年、文部省(当時)入省。2013年の大川小事故検証委発足時は官房長兼子ども安全対策支援室長。16年6月に事務次官就任。17年1月退官。1986年9月から2年間、宮城県教委に出向。奈良県御所市出身。

 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小を巡り、学校管理下における事故検証の在り方が論議を呼んだ。有識者らによる事故検証委員会の設置を主導した文部科学省前事務次官の前川喜平氏(63)と、学校事故・事件に詳しい京都精華大の住友剛教授(48)に検証の実情や課題を聞いた。
(大川小事故取材班)

-検証委の設置を文科省が主導した背景は。

<市への不信感大>
「遺族から大臣宛てに『市の対応は非常に問題があり、文科省が指導してほしい』という手紙が届いた。遺族は市への不信感が大きかった。事情を聴けば聴くほど、文科省がかなり実質的に関わらないと事態が動かないと考えた」
「東日本大震災時、学校管理下で最も多くの子どもの命が失われたのが大川小だ。大川小事故の検証抜きに、今後の学校防災は議論できないと思った」

-委員の人選を巡り、遺族から異論が出ました。
「委員は文科省が決めた。遺族の同意を丁寧に得ることを考え、委員から外した方もいた。遺族が推薦する委員は、中立性や客観性を確保する意味で検討しなかった。最終的に納得してもらえる態勢でスタートできたのではないか」

<法的責任 裁判で>
-検証委は市教委や学校、教員の過失や法的責任を追及しませんでした。
「検証の目的は、悲劇を繰り返さないための教訓を得て、今後の学校防災に役立てること。法的責任を追及すると、検証本来の目的が果たせなくなる。法的責任の追及は裁判でやることであり、検証委が踏み込むべきではない」

-遺族は検証委の報告書に納得していません。
「100パーセント納得してもらえるとは思っていなかった。法的責任は追及していないし、一部の遺族が考える事実にたどり着いていない」
「事実関係はできるだけ丁寧に客観的に確認した。事実をねじ曲げたり、証拠があるのに事実認定しなかったりはしていない。残っている証拠や証言からは報告書が限度だった。教訓は引き出せたと思う」

-教員の責任を認めた仙台地裁判決をどう受け止めましたか。
「教員の過失認定は意外ではなかった。(津波を目撃してUターンし、高台避難を呼び掛けた)市広報車の問題は大きい。後知恵だが、学校に立ち寄り、『逃げなさい』と言っていればと思う。市と宮城県の控訴について、文科省はまったく相談にあずかっていない」

-検証委の調査資料の保管先が決まらず、4年以上宙に浮いたままです。
「市がコンサルタント会社に事務局の運営を委託した立場であり、本来は市が調査資料を保管するべきだ。コンサルは市が求めれば返すはずだ。市は『訴訟に影響がある』と言うかもしれないが、コンサルが返還を拒む理由はない」

-学校管理下で起きた事故の補償の在り方をどう考えますか。
「学校管理下で起きた事件事故や災害で身体や生命に損害が生じた場合、学校側の責任の有無を問わない無過失責任の考えに立って全て補償するべきだ。まだ文科省にいれば、制度化を進められたかもしれない」河北新報2018年04月21日

<大川小・止まった刻>専門家2氏に聞く/遺族の知る権利尊重を 京都精華大教授 住友剛氏

住友剛(すみとも・つよし)関西大大学院博士後期課程単位取得退学。兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソン調査相談専門員などを経て、2014年から現職。教育学。主な著書は「新しい学校事故・事件学」(子どもの風出版会)。神戸市出身。

 東日本大震災で児童と教職員計84人が犠牲になった石巻市大川小を巡り、学校管理下における事故検証の在り方が論議を呼んだ。有識者らによる事故検証委員会の設置を主導した文部科学省前事務次官の前川喜平氏(63)と、学校事故・事件に詳しい京都精華大の住友剛教授(48)に検証の実情や課題を聞いた。
(大川小事故取材班)

-学校事故の遺族支援や遺族の「知る権利」をどう考えますか。
「大川小事故の場合、専門家集団が遺族と対話しながら、5年、10年かけて調査研究する枠組みが必要だったのではないか。学校事故の調査研究と被害者支援を同時に進める仕組みが日本にはまだなく、検討する必要がある」
「遺族は、わが子の生きていた最後の姿を知りたいと願う。これに積極的に応じていくことが遺族支援の出発点となる。しかし、その制度自体が未整備だ。子どもの安全に関する包括的な法律である学校保健安全法に、遺族の『知る権利』などを盛り込むべきだ」

-大川小事故検証委の人選や事務局の選定についてどう思いますか。
「遺族が一貫して求めているのは『空白の50分、なぜ校庭から動けなかったのか?』。学校の中での出来事なのに委員に学校の専門家は1人しかいない。もっと増やした方がよかった」

<責務は自治体に>
「亡くなった子どもと教職員の記憶を継承し、同様の災害を防ぐ責務は石巻市と宮城県にある。自らの在り方を問うために調査・検証し、遺族と共に再発防止策を探る検証委にすべきだった。事務局は民間コンサルタントではなく、批判はあっても学校防災を担う自治体に置く方がよい」

-行政の危機管理に求められる姿勢とは何ですか。
「行政や学校は従来、提訴された際の対応を危機管理のメインに据えてきた面があるのではないか。本来、行政や学校にとって、子どもの命を守れなかったこと自体が危機のはずだ」

<専門家と勘違い>
-検証委は「中立公正」や「ゼロベース」を掲げましたが、遺族は結果に納得していません。
「遺族は知りたいという思いが切実だから猛勉強する。委員は自分を専門家と勘違いしているが、地域や学校、子どもについては遺族の方が詳しい。検証委は遺族の持つ知恵や情報を生かすべきところ、自分たちの思うゼロベースや中立公正にこだわりすぎたのではないか。中立公正、ゼロベース、専門性という言葉の内実を問う必要がある」

-遺族が真相究明を求めて訴訟を提起せざるを得ない現状をどう考えますか。
「訴訟が新たな対立をつくり出している側面はないのか。自治体側は訴状を見て言い訳を考えたり、時には荒唐無稽な主張をしたりする。その度に遺族は傷つく。金銭的な補償と責任者の処分を除き、できるだけ話し合いで決着すべきだ」

-学校事故に「無過失責任」を適用すべきだとの意見がありますが。
「遺族の『お金なんか要らないから、子どもを返して』という思いにどう向き合うか。わが子が戻らないなら、せめてこの悲しい出来事を機に世の中が変わってほしい。そう願う遺族の思いに早く気付くべきだ。無過失責任の話の前に学校や行政、専門家にはするべきことがある」河北新報2018年04月21日

 

<大川小>混迷の序章となった第1回遺族説明会 晴れぬ疑問解消されないまま。

 東日本大震災から約1カ月後の2011年4月9日、石巻市教育委員会が大川小の保護者を対象に初の説明会を開いた。当時学校にいた教職員11人中、1人だけ生き残った男性教務主任(57)が遺族の前で語った唯一の場。説明会は非公開だったが、遺族が撮影した映像を基に再現する。(大川小事故取材班)

「すみません、助けられなくて、本当に申し訳ありませんでした」
説明会は大川小が間借りしていた同市飯野川一小で午後6時半に始まった。開始10分すぎ、教務主任が遺族ら約100人の前に姿を現すと、怒号がぴたりとやんだ。誰もが一言一句を聞き漏らすまいとした。

黒い長袖のトレーナーを着た教務主任はうつむき加減だったが、口調ははっきりとしていた。時折、拳を鼻や眉間に当て、つらそうな表情を見せる。地震発生の様子から始まった証言は津波襲来の瞬間に及んだ。
「ものすごい突風と聞いたこともない音が聞こえてきて、学校の前の道路の方を見たら、ものすごい高さの津波が道路に沿って来るのが見えました。それで、すぐに『山だ、山だ、こっちだ』と叫んで山の方にやりました」
斜面に逃げた際、倒木2本に右腕と左肩が挟まれたと語る。「その瞬間に波をかぶって、もう駄目だと思ったんですが、波が来たせいかちょっと体が、木が軽くなって…」
斜面の上、数メートル先で3年の男子児童が助けを求めていたという場面。「とにかく『死んだ気で上に行け』と叫びながら、その子を押し上げるようにして、斜面の上に必死に登っていきました」
津波襲来の瞬間、どこにいたのか。本当に波をかぶったのか-。これらは後に、遺族に多くの疑問を生む。
「毎日、学校で中庭で元気に遊んでいる子どもたちの夢とか、直前まで一緒に卒業式の用意をしていた先生たちの夢を毎日見ます。本当にすみません」
約20分の独白を終え、深々と頭を下げた教務主任は机に突っ伏し、再び語ることはなかった。

父親の1人が静寂を破る。「どうして次の日に早く来てくれなかったの」。教務主任、柏葉照幸校長、山田元郎学校教育課長(いずれも当時)らが並ぶ机に、小さな靴をたたき付けた。
「分がっか、この靴、靴だけしか帰ってこねえよ。これ、おいの娘、靴か!!」
せきを切ったように怒りに満ちた質問が飛び、むせび泣きが漏れた。
「誠意がねえぞ」「何で1カ月もたつのっしゃ、こんな話すんのに」「何で先に登校式なんですか?」「人災なんだよね」「行ってきますって出ていったまんま、まだただいま言われてねえんだ」「本当に返してけろ」「返せ!」「子どもたちの出てきた姿、見たことある? お姉ちゃんが妹ば抱えて出てくるやつ。どんな思いでいたと思う、あそこさ」
市教委は学校管理下以外の児童生徒も含む合同慰霊祭を提案した。「市全体のバランス」を強調し、逆に怒りを買った。まだ児童10人が行方不明だった。翌日から捜索への参加を約束した。
1時間半余りの説明会で、遺族の「なぜ」が晴れるはずもなかった。計10回の説明会、第三者検証委員会、訴訟へと続く長い混迷の序章にすぎなかった。河北新報2018年04月18日

<大川小>検証委資料の保管先決まらず 「当面の間」と4年以上民間に預けたまま

検証委の資料を一時保管している社会安全研究所。「当面の間」の約束で託され、既に4年が経過した=東京都新宿区

 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の大川小を巡り、有識者らによる事故検証委員会が行った関係者への聞き取りなど調査資料の保管先が決まらず、4年以上も宙に浮いていることが分かった。資料は当時の委員長が、事務局のコンサルタント会社「社会安全研究所」(東京)に「当面の間」との約束で託した。税金を使って集められた貴重な資料が、明確な根拠のないまま民間企業に預けられた状態が続いている。(大川小事故取材班)

<市が費用負担>
検証委は文部科学省が主導する形で設置され、2013年2月~14年1月に計9回の会合を開いた。費用5700万円は石巻市が負担した。14年3月に市に最終報告書を提出し、検証委は解散した。
その間、震災発生時、学校にいた教職員11人中、唯一助かった男性教務主任(57)への2回、計5時間の聞き取りをはじめ、児童10人、保護者、遺族、地域住民ら関係者へ計108回の聞き取り調査を行った。延べ196人、約187時間に及ぶ。
委員長を務めた室崎益輝・兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長は検証委解散時、「当面の間、預かってほしい」と事務局の社会安全研究所に依頼。大学などに打診したが、引き受け手が見つからなかったという。

<取り決めなく>
検証委の情報取扱規定は、聞き取り資料を検証以外に使用しないことを定めるが、保管の取り決めはない。同研究所は取材に「資料は電子データ化して保管し、紙の資料は全て廃棄した。法的根拠はないが、当時の委員の『保存』という判断に従い、可能な限り保管したい」とメールで回答した。
同研究所は、特別顧問の木村拓郎氏が1997年6月に設立した株式会社。資本金1000万円。株式会社は倒産や企業の合併・買収(M&A)のリスクがあり、歴史的な資料の一時保管先としては不適切との声も上がっている。

<遺族から批判>
大川小津波訴訟の原告団長で遺族の今野浩行さん(56)は「仮に廃棄されれば、検証委が結論を導き出した経緯が分からなくなる。民間企業に一時保管されているため情報公開請求もできず、検証できない」と批判する。
石巻市教委学校安全推進課は「聞き取りは非公開を前提に実施しており、市や市教委が資料の提供を求めることはできないと認識している」と説明する。
室崎氏は「資料は検証委の存在の証しであり、廃棄することはない。中立公正の観点から当事者である市に戻すことは避けた。責任を持って保管先を見つけたい」と話した。河北新報2018年04月17日

<大川小研究会>震災事故の教訓を共有 仙台で第1回初会合

「救えた命を救えなかったという事実に向き合って」と呼び掛ける佐藤さん

 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が犠牲になった石巻市大川小事故から教訓を学び、学校防災の在り方などを発信しようと、研究者らでつくる「大川小学校研究会」が発足し、15日に仙台市内で第1回研究会を開いた。
研究者や遺族、市民ら約30人が参加。発起人の一人で多摩大情報社会学研究所の会津泉教授は「遺族や地元だけの問題ではなく、どこでも起こり得る『自分ごと』として教訓を共有する場にしたい」と呼び掛けた。
6年の次女みずほさん=当時(12)=を亡くした佐藤敏郎さん(54)は「遺族だけが声を上げるのではなく、垣根を越えてつながることが大事」と強調。3年の長女未捺(みな)さん=同(9)=を亡くした只野英昭さん(46)は「本当につらいことこそ伝えなければならない。教訓を学ぶ輪が広がってほしい」と話した。
今回は東北大の李仁子准教授、熊本大の石原明子准教授がそれぞれ韓国の旅客船セウォル号沈没事故、水俣病問題を通して、大川小の遺族ケアや紛争解決の在り方を考察した。訴訟の問題点などを話し合うグループ討議もあった。
次回は5月25日に東京で開催する。河北新報2018年04月16日

<大川小・争点を語る>(上)危険の予見 ハザードマップ頼み/多忙化で防災後回し

牛山素行(うしやま・もとゆき)長野県生まれ。信州大農学部卒。京大防災研究所助手、東北大大学院工学研究科付属災害制御研究センター講師、岩手県立大総合政策学部准教授を経て2009年から現職。専門は災害情報学。49歳。

制野俊弘(せいの・としひろ)東松島市生まれ。宮城教育大大学院修了。東松島市鳴瀬二中在職時に被災。同市鳴瀬未来中教諭を経て2016年から現職。専門は教育学。著書に「命と向き合う教室」(ポプラ社)。52歳。

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市大川小を巡る損害賠償請求訴訟の控訴審判決が26日、仙台高裁で言い渡される。控訴審は学校の事前防災が主要テーマとなり、津波の危険認知や組織的な対応の是非について遺族と市・宮城県の主張は真っ向から対立した。判決を前に、争点に関する有識者の意見を聞いた。(報道部・横山勲)
大川小は北上川河口から約3.7キロ上流にあった。海抜約1メートル。河川堤防(高さ約5メートル)まで西に約200メートル。震災前、周辺の最大予想津波は5.1メートルで、校舎はハザードマップの津波浸水予想区域から外れ、避難所に指定されていた。

◎静岡大防災総合センター 牛山素行教授

静岡大防災総合センターの牛山素行教授(災害情報学)は「震災クラスの津波襲来は誰も予測できなかった」とした上で「津波防災の専門的知見に照らせば、学校周辺は肌感覚でも『嫌だな』と感じる地形だ」と指摘する。
北上川は河口が幅約1.5キロと広く、勾配の緩やかさ(高低差の小ささ)が特徴。「周辺を海岸から延びる事実上の細い湾と見た場合、大川小は湾の一番奥に位置する。陸域が限られているため、津波の水量が多いと波の勢いが衰えず、水位上昇が起きやすい」と説明する。
大川小の危機管理マニュアルは2007年度の改訂時に「津波」の文言を盛り込んだが、2次避難場所は「近隣の空き地・公園等」と記すにとどめた。過去に周辺が津波浸水した記録はなく、浸水予想区域は学校の手前約800メートルにとどまる。津波の河川遡上(そじょう)は堤防でカバーできると考えられたためだ。
「地震の規模や範囲の予測は困難で、不確実性が高い。浸水予想は防災計画を作る目安にすぎないのが常識だが実務上、ハザードマップの想定に依存せざるを得ない状況は理解できる」という。
マニュアルの内容は「堤防の決壊を警戒して校舎2階や屋上へ避難する検討はできたと思うが、遺族が主張する校舎近くの裏山や堤防付近の三角地帯(標高約7メートル)を経由した林道への避難を、震災前の知見で現実的に考えられたかは疑問だ」との見解を示す。

◎和光大現代人間学部 制野俊弘准教授

元東松島市鳴瀬未来中教諭で和光大現代人間学部の制野俊弘准教授(教育学)は、学校を巡る全般状況を背景要因に挙げる。「学校周辺の地理状況の分析は校長ら管理職が責任を持ってすべき仕事で、不備があれば市教委にも責任の一端がある」と強調する。
津波に対する当時の危険認識は「浸水予想区域から外れている以上、事前想定は避難行動より避難所対応を優先した可能性がある。避難所に指定されていれば、教員は社会的責任を考えて学校を離れられないという感覚が働く」と指摘。
「学校現場は年々多忙化しており、防災は後回しにされていたのが当時の実情だ。全国の多くの学校が同じ問題を抱えている。なぜ教員は地震から約50分間も校庭にとどまったのか。背景に踏み込む司法判断を期待したい」と語る。河北新報2018年04月20日

<大川小・争点を語る>(中)組織的過失 震災前に対策の余地

高橋真(たかはし・まこと)岐阜県生まれ。京大大学院法学研究科博士後期課程退学。香川大法学部助教授、京大教養部助教授を経て、1998年から大阪市立大。専門は民法。著書に「安全配慮義務の研究」(成文堂)など。63歳。

 仙台高裁は昨年3月29日の控訴審第1回口頭弁論後の非公開協議で、「本件(大川小の津波被害)は教員個人の責任の限度を超える事案」と指摘した。その上で、遺族と石巻市・宮城県の双方に東日本大震災前の学校や市教委の「組織的過失」について主張立証を求めた。

◎大阪市立大大学院法学研究科 高橋真教授

組織的過失とは何か。大阪市立大大学院法学研究科の高橋真教授(民法)は「学校や企業など人の行動を制約する組織には、管理下の人の安全環境を確保する義務が生じる。そうした組織の管理者による職務上の安全配慮義務違反とも言える」と説明する。
「学校や市教委は児童の生命安全を守る目的を達成するために行動する一つの組織体。大川小の教員らが地震から約50分間、校庭から動かなかった事実を読み取ろうとすると、直前の出来事よりも事前対応から過失を検討する方が、自然で適切な着眼点だ」という。
遺族側は仙台地裁の一審段階でも、事前に危機管理マニュアルを改訂して津波対応の避難場所や方法を明記すべきだったと主張。2016年10月の地裁判決は「震災前に具体的な津波被害は予見できず、マニュアルを改訂すべき義務は認められない」と退けた。
震災前、大川小は学校周辺の地理状況を独自に調査していなかった。高橋教授は「地域の実情を確認する過程で防災を担う人材も育つ。適切なマニュアル整備のための調査をしていれば、地震後の早い段階で高台避難を決断できた可能性もある」との見方を示す。
市・県側の「学校までの津波到達は例がなく、事前の予見は不可能。当時のマニュアルに不備はない」との主張に対しては、「科学的知見に照らした評価と、置かれた現状を認識する取り組みをしたかどうかは別問題」と疑問を呈する。
学校現場で起きた事故の予見可能性を巡り、学校側に厳しい責務を課した判例もある。落雷の予見の可否が争われたサッカー落雷事故訴訟の最高裁判決(06年)は、落雷に関する一般的な知見が引率教員や大会関係者にあれば、雷鳴が聞こえた段階で試合を中止して生徒への落雷を回避できたと判断。予見可能性を否定した高松高裁判決を破棄、審理を差し戻した(後に原告勝訴確定)。
最高裁判決の意義について、高橋教授は「教員らが落雷の危険について無知ならば、知見を引き上げるのが管理者の義務であることを示唆した」と強調。「客観的に存在する危険を主観的に認知できなかったとしても、言い訳にはならない」と断じる。
大川小津波訴訟の一審判決は、広報車が避難を呼び掛けた津波襲来の約7分前までに予見できたと判断、教員の過失を認めた。ただ、高橋教授は「事故直前の過失を捉えると(学校の)マネジメント段階の問題が隠れる。約50分間も校庭にとどまり続けた不自然さは、偶然的な出来事に左右されるものではないはずだ」と、震災前の不備による「必然」を指摘する。河北新報2018年04月21日

<大川小・争点を語る>(下)結果回避 事前防災検討不足か

米村滋人(よねむら・しげと)東京都生まれ。東大医学部を卒業後、東大病院勤務などを経て東大大学院法学政治学研究科修士課程修了。2005年から8年間、東北大大学院法学研究科で准教授を務めた。専門は民法。43歳。

◎東大大学院法学政治学研究科 米村滋人教授

石巻市の大川小津波訴訟で、一審仙台地裁の審理は東日本大震災発生後に津波を予見できたかどうかが争点の中心だった。地裁判決は、津波襲来の約7分前に市の広報車が避難を呼び掛けた時点で具体的な危険を予見できたと判断。校舎近くの裏山に避難させなかった教員らに過失があるとして、児童らの死亡との因果関係を認定した。
国家賠償法に基づく法的責任の認定には、公務員による「故意または過失」の特定に加え、過失行為と事故結果との因果関係の立証が必要となる。控訴審は事前防災が最大の争点で、過失判断は基本的に震災前の経過に絞られる。
東大大学院法学政治学研究科の米村滋人教授(民法)は「学校と河川の近さなどを考慮して、万が一の津波避難場所を事前に決めていれば、迅速な避難で助かった可能性がある。控訴審判決は、危機管理マニュアルの内容が適切だったかどうかが重要なポイントになる」と話す。
事前防災と事故との因果関係の判断は、行員ら12人が犠牲となった宮城県女川町の七十七銀行女川支店を巡る津波訴訟(最高裁で原告敗訴確定)でも争点の一つだった。確定判決は、事前に支店屋上を避難場所に加えたのは科学的知見に照らして合理性があるとし、マニュアルに従って屋上避難を決めた支店長の判断を巡る法的責任を否定した。
支店は震災前に津波避難ビルの指定を受け、独自の被害想定で作成した災害対応プランの周知や津波避難訓練を実施していた。
米村教授は「一定の情報収集を行い、慎重に検討した結果の防災対策であれば、内容が著しく不合理でない限り責任を問えないというのが裁判所の考え方。だが、大川小がマニュアル内容を作成する際、女川支店のような情報収集や避難先の検討をしたかは疑わしい」と言い切る。
ただ、事前防災が主眼の過失判断の枠組みでは、因果関係の認定ハードルは高くなる。仮に高台避難を明記したマニュアルを整備していたとしても、実際に教員らが避難を判断できたかなど、不確定要素の検討が必要になるからだ。
米村教授は「一般的に事故から時間的・物理的に離れた行為に過失が認定されると、過失行為がなければ結果を回避できたと言いにくくなる」と指摘。その上で「大川小事故は校庭で約50分間も待機した特殊性がある。適切にマニュアルを整備して平均的な避難行動を取れば、容易に事故を回避できる時間があった。マニュアル不備は事故という結果から近いところにある」とみる。
学校の事前防災の是非を巡る司法判断は、控訴審判決が初めてとなる。「具体的な予見可能性がないから何もしないのでは、防災は成り立たないはずだ。抽象的な危険がある段階で、どの程度の対策が学校管理者に義務付けられるかが問われている」と判決を注視する。河北新報2018年04月22日

トラックバック・ピンバックはありません

ご自分のサイトからトラックバックを送ることができます。

コメントをどうぞ